みずなら

木の家具をつくるようになって7年が経つ。たくさんの木を使ってきた。試作に使われて燃やされてしまった木や、運よく家具として今も使われている木もある。いったい何本の木を伐ったことになるのだろう。

その間、一度も木を植えたことはなかった。

この秋はじめて木を植えた。

北海道旭川近郊、東川という町のはずれの山に「みずなら」の木を植えた。北海道には、戦後しばらくまでは楢(なら)の木の茂る森がたくさんあったが、棺や家具の材料としてヨーロッパに輸出するために伐られてしまい、今はわずかに残るだけとなった。

日本の文化ではさほど目立たない楢の木も、ヨーロッパや北方の落葉広葉樹の森にくらす人々にとっては、樹木の中の樹木であり、神聖な樹であった。ローマの兵隊が征服した土地でこの木を伐るのをためらったと記されているほどである。

ゆっくりと成長する楢の木は長寿で、家具の材料として使えるようになるまでには約200年かかる。たぶん自分で植えた木を使うことはないだろう。200年は途方もなく長い時間のように思えるが、石油がつくられる時間に比べればはるかに短い。人の一生よりもほんの少し長いだけである。その長さは、人がともに老いながら、生涯向き合って行くのにちょうどよい長さである。

木でつくられた家具とくらす。生活は木とともにある。
木がなければ生きて行けない。
これから何本の木を植えられるだろうか?

文・清水徹
2007.11.10